POWER FOR
SMILE MAGAZINE

「笑顔」を生みだす ひと・もの・しごと を紹介

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応援メッセージが再起へのパワーに!ふるさとで輪島朝市を復活させたい。

PROFILE

南谷良枝

輪島朝市 南谷良枝商店 店長

17 歳の頃から輪島朝市に出店し、1995年に自家製の海産物を販売する「南谷良枝商店」(有限会社鶴竹)を創業。能登半島地震後は金石で仲間たちと出張輪島朝市をスタートし、現在は同地区に支店を開業している。

周りをパッと明るくする笑顔が印象的な南谷良枝さん。17歳という若さで「南谷良枝商店」を創業し、30年以上輪島朝市の露店を切り盛りしてきました。
能登半島地震を経て、復興への道を歩み始めた今、何を思うのでしょうか。つらかったこと、仲間のこと、輪島への想い。迷いながらもたくましく、確かな一歩を踏み出しています。

  1. POINT 01

    祖母の代から受け継がれるフレンドリーな接客。時代が変わっても、人とのつながりが商売の基本。

  2. POINT 02

    出張輪島朝市が元気を取り戻すきっかけに。前を向いて行動すれば、応援してくれる人があらわれる。

  3. POINT 03

    食文化や伝統文化を発信し、交流人口を増やしたい。内外の人が交流することで、町に活気が生まれる。

ばあちゃん伝授の接客で、心をつかむ

「良枝さんのお魚、おいしかったよ!」
仕事のやりがいは、この一言に尽きます。手間暇かけた甲斐があったなと、胸が熱くなる瞬間です。私が海産物を扱う商売を始めたのは、行商をしていたばあちゃんの影響でした。大きなザルをかつぎ、汽車に乗って能登の街々を売り歩く姿を見て育ち、自然とその手伝いをするようになりました。高校生の頃には、念願だった輪島朝市への出店を果たしました。本来、露店の位置は親子で受け継がれ、出店権の獲得は難しいのですが、たまたま空きに恵まれて、運が良かったですね。震災前まで輪島の加工場で干物や糠漬け、塩辛を作り、朝市で販売していました。
ばあちゃんからの教えは、お客様を身内だと思ってフレンドリーに接すること。言葉を交わしながら相手の心をつかみ、売り上げを伸ばしていけるのは商売の面白さですね。オンラインショップでも商品を販売しているのですが、お客様とはコミュニケーションアプリを通じて、「これ、どうやって食べるの?」「こうやって調理するとおいしいよ!」といった対面販売のようなやりとりをしています。画面越しでも「おいしい」のメッセージは、やっぱりはげみになりますね。

温かい気持ちが伝わる、泣きながらの笑顔

出張輪島朝市に来てくれたお客様の笑顔には元気づけられました。能登半島地震から半月が経った頃、私を含めて輪島朝市組合のメンバー7人が発起人となり、出張輪島朝市を企画しました。市場を出すなら輪島と同じ港町が良いと考え、金石地区に打診したところ、加賀建設の鶴山社長をはじめ、商工会や商店街、婦人会の皆さんがまちぐるみで応援してくださって。企画からわずか2カ月後の2024年3月に金石港で開催した第1回出張輪島朝市には全国から1万人以上が駆けつけてくださり、大盛況となりました。中には沖縄からわざわざ足を運んでくださった方もいたんですよ。「良枝さんの笑顔が見られて良かった!」と泣きながら笑顔になるお客様がいて、私も元気をもらって。この時の温かな笑顔が忘れられません。
金石での開催をきっかけに全国からオファーがあり、今は組合員といろいろな地をめぐっています。参加するメンバーも少しずつ増えて、仲間が笑顔を取り戻すきっかけになったこともうれしいですね。今は輪島のワイプラザで開催しており、数年後には輪島マリンタウンを拠点にした輪島朝市の復活を目指しています。

なくしたものより、未来に目を向ける

2024年元旦、能登半島地震が私たちを襲いました。加工場にあった樽が割れて、前年に8トンほど仕込んだいしる(魚醤)のほとんどが流れ出てしまって。いしるはばあちゃんから受け継いだ大切な宝。金額的な損失も大きいですが、宝を失ったこと、家族みんなで一生懸命仕込んだ歳月と労力が一瞬でムダになったことがショックでした。父が一代で築いた実家は半壊し、漬物などを保管していた倉庫は全壊しました。ただ、落ち込んでばかりもいられないので、倉庫にあった魚や肉、水などを避難所に提供したり、家の大鍋で作ったおじやを届けたり。震災直後から「こんな時こそ助け合おう」という気持ちで、行動していました。
つらい経験でしたが、その時も心の支えになったのは全国のお得意様たち。数百件ものメッセージが届き、「良枝さんのおいしい食べ物、いつまでも待っているよ、急がなくていいんだよ」という言葉に勇気づけられました。なくしたものを数えても仕方がない、応援してくれる皆さんのためにも笑顔で少しずつ進んでいこう、今はそんな気持ちでがんばっています。

家族でおいしいご飯を食べる大切な時間

元気の源は、手づくりのご飯。家族みんなで、食事をする時間を大切にしています。海と山に囲まれた能登は食べ物がとにかくおいしくて、心が満たされます。
震災というつらい経験をしましたが、家族がいたから乗り越えられました。今は、私と母、息子、娘は金石で暮らし、主人は加工場がある輪島にいるので物理的には離れ離れですが、気持ちは一つ。以前より絆が強まったような気がします。日々の商売は母と娘が支えてくれて、特に娘・美有(みう)の存在が大きい。私はわりとおおざっぱな性格なんですが、娘は几帳面で、「もっと数字をみて」と経営的な視点で意見をしてくれることもあって。私がばあちゃんから教わった接客のスタイルも受け継いでくれて、20代という若さでいしるの製法も身に付けている。頼もしく、自慢の娘です。

人が交流することで、新しい風景が生まれる

2025年に金石地区に「南谷良枝商店」の支店をオープンしました。輪島もそうですが、金石は人とのつながりを大切にし、温かさがある町。地域の皆さんと一緒にこの町の食文化や伝統文化を発信し、それを吸引力に集まる人を増やしたいですね。例えば、いしるの伝統製法を子どもたちに教える機会があったら素敵ですよね。人が交流することで、新しい文化が生まれ、そこから笑顔の風景が広がっていくんじゃないでしょうか。
地域の皆さんはいつも私たちのことを気にかけてくれて。ちょくちょく「がんばっとるけ?」と買い物に来てくれるその優しさが、本当にありがたいです。私たちも地域に深く溶け込みたくて、商店として商工会に入り、昨年は夏祭りにも参加させてもらいました。輪島と金石はともに港町なので、本来はライバル関係ですが、温かく受け入れてくれることに懐の深さを感じています。

笑顔でいれば、自然と道は開ける

シンプルな答えですが、やっぱり周りの人の笑顔です。家族や仲間、お客様が笑顔になるとパワーがわいてきますし、だからこそ自分自身も笑顔でいることを心がけています。
干物や塩辛など私たちの商品は「手間暇かけて、丁寧に」作るもの。これからも地道にコツコツ、おいしいものを作り続けたいです。「今後の夢は?」と聞かれると、復興のスタートラインに立ったばかりで、夢を描くにはまだ時間がかかるというのが本音ですが、笑顔を忘れず、目の前のことを一生懸命やっていれば道は開けると信じています。まずは売上を震災前の金額まで戻すこと。そして、オリジナルのいしるをもう一度仕込み、輪島の本店を復活させること。焦らず、家族で手を取り合って進んでいきたいです。

EDITOR’S NOTE

編集後記

南谷さんの仕事の原点は、行商をしていた祖母の姿にあります。自分でさばいた魚を加工し、能登で売り歩くたくましい背中に憧れ、17歳という若さで「南谷良枝商店」を創業しました。全国にファンを持つ理由を「胃袋をしっかりつかんでいるからかな」と南谷さんは笑いますが、祖母から受け継いだ“人とのつながりを大切にする姿勢”が人の心をつかんでいるのでしょう。能登半島地震が発生し、笑顔になれないほど落ち込んだ時、全国からの応援メッセージが前を向く支えになりました。そして、南谷さん自身も誰かの光であり続け、地震発生の3日目には商店の食料を避難所へ提供し、自ら作ったおじやを届けました。発起人の一人として企画した出張輪島朝市には1万人以上の客が押し寄せ、再起の力となりました。震災からの復興は困難の連続で、軽々しく“つらい時こそ笑顔に”とは言えませんが、ただ、“一歩ずつ前進すること”が希望になることを、南谷さんの行動力が教えてくれます。
「今後は、能登の食文化を子どもたちへ伝えたい」。そんな思いが、ふるさとの新しい未来を創る原動力になっていくはずです。